【実録:シーズン2】第4章:欺瞞の証明と譲れぬ防衛線

人生

深夜の検証と、たった一つの致命的な「綻び」

相手方から提出された「資産一覧表」と、それに紐づく「通帳の写し」。私は自宅の薄暗い照明の下で、それらの紙の束と向かい合っていた。 怒りのマグマはすでに冷え固まり、今はただ、無機質な数字の羅列を解体する冷徹な作業者のような精神状態だった。手元には蛍光ペンと定規、そして電卓。相手が仕組んだであろう数年がかりの隠蔽工作、その全貌を暴き出すための孤独な発掘作業だ。

一覧表に記載された項目を一つ一つ、通帳のコピーの明細と突き合わせていく。日付、摘要、引き出し額、預け入れ額。本来ならピタリと一致するはずのパズルのピースは、最初からどこか歪んでいた。生活費の流れとしては不自然な少額の移動、説明のつかない引き落とし。だが、それらはまだ「解釈の違い」や「記載漏れ」という言い訳が通用する範囲のものだった。

決定的な「綻び」を見つけたのは、別居が始まる数週間前のページに差し掛かった時だった。

『出金:1,000,000円』

私の視線は、その一行に釘付けになった。 何度も桁を数え直した。十、百、千、万、十万、百万。間違いない。別居という強行手段に出る直前の、極めてセンシティブな時期。そこに、現金で100万円というまとまった金が引き出された記録が、通帳の写しにはっきりと印字されていた。

私はすぐさま、相手方が提出した「資産一覧表」に目を戻した。現金、預貯金、その他の資産項目……どこを探しても、この「別居直前に引き出された100万円」の行方は記載されていなかった。生活費の決済口座に残高を残さず、別の場所へ現金を移し替えたのであれば、それは当然「手持ち現金」あるいは「別口座の資産」として一覧表に計上されなければならない。

しかし、リストには一行たりとも、その100万円の存在を示す文言はない。まるで、最初からそんな金は存在しなかったかのように、見事に消し去られている。

徒労、そして「見切り」

「……ふざけるな」

ため息とともに、乾いた声が漏れた。 怒りというよりも、あまりの稚拙さ、あまりの杜撰さに対する深い呆れだった。 数年がかりで巧妙に資産を隠蔽してきた用意周到さと、調停という公の場に提出する証拠書類でこんなにも露骨な嘘をつく大胆さ。そのアンバランスさが、相手方の「どうせバレやしない」「適当にごまかせる」という私に対する決定的な侮蔑を表しているように思えた。

手元にあった蛍光ペンを、机の上に放り投げた。カツン、という乾いた音が深夜の部屋に響く。 これ以上、この紙切れの束を検証する意味などあるだろうか。 たった一つでも意図的な隠蔽、致命的な疑義が見つかった時点で、この「資産一覧表」という書類全体の信憑性はゼロになる。

100万円もの大金を平然と隠し通そうとする人間が、他の項目で正直に申告しているはずがない。氷山の一角を見つけた時点で、水面下にどれほど巨大な嘘が沈んでいるかは火を見るより明らかだった。

「もういい。やめた」

私は書類の束を乱暴にまとめ、クリアファイルに放り込んだ。 こんな虚偽の数字をベースにして、これ以上真面目に電卓を叩くのは馬鹿馬鹿しい。私が一人で深夜に頭を悩ませる段階は終わった。この先は、調停という公の場で、相手の顔面にこの事実を突きつけるだけだ。次の期日で、相手方に直接問いただせばいい。

共同親権という切り札と、動かざる決意

財産分与における底なしの泥沼。しかし、私の頭の中はすでに、その先にある最大の防衛線、「親権」へとシフトしていた。 金の問題は、嘘を暴けばいい。だが、親権だけは論理や数字だけで決まるものではない。相手方もまた、親権を手放す気配は微塵もなかった。母親優先という古き悪しき慣例を盾に、当然のように単独親権を主張してくるだろう。

しかし、私には絶対に譲れない理由があった。 単に娘を愛しているという感情論だけではない。冷徹な事実として、法制度の大きな転換点がすぐそこまで迫っていたからだ。 「翌年からの、共同親権の導入」 これが、私の最大の切り札であり、心の支えだった。

これまでの日本の司法において、離婚後の単独親権は絶対的なルールだった。そのせいで、どれほどの父親たちが理不尽に子供との縁を引き裂かれてきたことか。しかし、時代は変わる。法が変わるのだ。 今ここで、相手方のペースに巻き込まれ、妥協して単独親権を渡してしまえば、娘の未来に対する私の法的権利は完全に絶たれる。

それならば、いっそこの調停が「不調(合意に至らず決裂すること)」になっても構わない。 調停が長引き、不調となり、裁判へと移行したとしても、時間を稼げば稼ぐほど「共同親権」という新しい法の枠組みが施行される時期に近づく。嘘にまみれた人間に娘の全権を委ねるくらいなら、徹底的に抗戦し、新しい法律の下で対等な親としての権利を勝ち取る。

「絶対に、譲らない」

私は暗い部屋の中で、娘の寝顔を思い浮かべながら、その決意を鋼のように固くした。

調停室での告発と、虫のいい提案

数週間後。再び訪れた調停室の空気は、相変わらず澱んでいた。 長机を挟んで座る調停委員たちは、前回の「資産一覧表」をベースに、いかにも事務的に話し合いを進めようとしていた。

「さて、相手方から提出された資産についてですが、ご自身の確認は取れましたでしょうか」

私は手元のクリアファイルから、あの通帳の写しを取り出し、机の上に滑らせた。

「確認するも何も、話になりません」 私は努めて冷静に、しかし氷のように冷たい声で言い放った。 「別居の数週間前、この通帳から現金で100万円が引き出されています。しかし、相手方から提出された資産一覧表のどこを見ても、この100万円の記載がない。一体、この金はどこへ消えたんですか?」

調停委員たちの顔色が変わった。彼らは慌てて手元の書類をめくり、私が指摘した箇所を確認し始めた。 「あ……本当ですね。記載が……」 「こんなあからさまな隠蔽がある以上、この一覧表をベースにした話し合いなど不可能です。私はこれ以上、この虚偽のリストを前提とした茶番を続ける気はありません」

私がそう告げると、調停室には重苦しい沈黙が落ちた。調停委員は困惑した表情で顔を見合わせ、一度相手方の意見を聞くために席を外した。

待たされること数十分。再び戻ってきた調停委員の口から出たのは、相手方からの耳を疑うような提案だった。

「相手方からの申し入れなのですが……」 調停委員は少し言い淀みながら続けた。 「財産分与については、双方の主張に隔たりが大きい。ですので、まずは『親権』についてのみ、この調停で決着をつけないか、と。そして、もめている財産分与と面会交流については、調停を切り離し、『審判』に移行して裁判官に決めてもらう形にしないか、というご提案です」

即答の拒絶

一瞬、何を言われているのか理解できなかった。 理解した瞬間、腹の底から失笑が漏れそうになった。

自分たちのついた嘘がバレ、財産隠しを追及されると見るや否や、論点をすり替えてきたのだ。「お金のことは後回しにしましょう。面倒なことは裁判官に丸投げして、とりあえず子供の権利だけは私に確定させてください」と。 どこまで自分勝手で、どこまで私を愚弄すれば気が済むのか。

親権を先に相手方に渡してしまえば、私が持っている交渉のカードはすべて消滅する。その後に残る財産分与の審判など、相手にとっては痛くも痒くもない消化試合に過ぎない。さらに「面会交流」すらも後回しにされるということは、親権を盾に取られ、娘に会うことすら思い通りに制限される未来が目に見えている。

「そんなことができるわけがないでしょう」

私は、調停委員の言葉を遮るように即答した。 「財産を隠蔽し、嘘の書面を平気で提出するような人間に、なぜ先に親権を渡せると思うんですか? 親権、財産分与、面会交流。これらはすべてパッケージです。都合のいい部分だけを切り取って合意するなど、絶対にあり得ません。即座にお断りします」

私の強い語気に、調停委員は「……わかりました。お伝えします」とだけ言い残し、肩を落として再び部屋を出て行った。

交渉は完全に決裂した。 しかし、私の中に焦りはない。相手の浅ましい本性が露呈すればするほど、私の立つべき位置は明確になっていく。 親権という絶対防衛線。そして、隠された真実への追及。 ここから先は、情も妥協も一切ない、本当の意味での総力戦になる。私は調停室の壁を睨みつけながら、次なる闘いに向けて静かに息を整えた。

(第五章へ)

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