容赦のない日常
前回の運動会では、娘を見ることはできたが、話ができなかった。娘は、私を見ても笑顔はなく、なんとも言えない表情をしていた。
調停で面会交流の取り決めが終わるまで、娘には会えない。 それが、家庭裁判所で突きつけられた冷酷なルールだった。次に調停が開かれるのは一ヶ月後。つまり、この先の一ヶ月間、私は娘の声を聞くことも、その姿を見ることもできない。 理不尽だと思った。しかし、相手が「会わせない」と主張し、法律の場に持ち込まれた以上、その手順を踏まない限り扉は開かないのだ。
日常が非日常に変わるということが、どれほどのことか。実際に経験しなければわからないと思う。
そして、日常は容赦なく続いていく。
朝四時半。アラームが鳴る前に目を覚ますのが、新しい習慣になっていた。 静まり返ったキッチンに立ち、卵を割り、フライパンに火を入れる。長男と私、男二人の生活が始まってから、毎朝彼の弁当を作るのは私の役目になった。 無心で卵焼きを焼き、冷凍食品のおかずをレンジで温め、弁当箱に詰める。
この単純作業をしている間だけは、余計なことを考えずに済んだ。家からいなくなった妻と娘のこと。これからどうなるのかという不安。それらを一時的にシャットアウトできる、唯一の「父親としての義務」の時間だった。
2時間の車通勤
弁当を作り、まだ寝ている長男を残して、家を出る。そして、片道二時間の車通勤が始まる。 一人きりの車内は、どうにも息が詰まった。ラジオの音声も頭に入ってこない。考えまいとしても、ふとした瞬間に娘の顔が浮かび、胸が締め付けられる。二時間という時間は、一人で現実に向き合うには長すぎた。
しかし、会社の駐車場に車を停め、ドアを開けると同時に、勝手に仕事スイッチが入る。 「おはようございます!」 職場では、いつもより少し高めの声を出した。誰かが冗談を言えば、真っ先に大きな声で笑った。妻に子供を連れ去られ、絶望の淵にいる男には、誰の目にも映らなかったはずだ。
同情なんてされたくなかったし、哀れみもいらない。ただ、この日常を崩すわけにはいかなかった。
それに、私にとって仕事は救いだった。 次々と降ってくるタスク、会議、電話応対。目の前の業務に追われている間は、自分が「相手方」であることを忘れられた。感情を押し殺し、ただの会社員という歯車の一つとして機能している方が、よほど気が楽だったのだ。
月曜日が待ち遠しい
一人になると、どうしようもなく辛い。だから、週末が近づくにつれて気分が沈み、逆に月曜日が待ち遠しくなるという、自分でも信じられないような感覚に陥っていた。
そして訪れる、逃避の土日。 仕事という強制的なタスクがない休日は、私にとってただの苦痛でしかなかった。本来なら休みが嬉しいはずなのに、不思議な感覚だった。さらに、同じ家にいる高校生の長男とも、話をすることはほとんどなかった。
静まり返った家の中には、至る所に地雷が埋まっていた。洗面台の鏡の高さ、靴箱の空いたスペース、ソファの上のクッション。どれを見ても、そこにいたはずの娘の姿に直結してしまう。
だから、私は家を出て、行くあてもないまま、ただひたすらに外を歩き続けた。歩いて、歩いて、足の裏が痛くなるまで歩けば、少しだけ頭の中を空っぽにできた。街ですれ違う家族連れを見るのは辛かったが、それでも、あの息の詰まる家に一人でいるよりはマシだった。
夜になり、歩き疲れて帰宅すると、現実が待っている。 机の上に広げられた資料の束。次回の調停に向けて、準備しなければならないことは山積みだった。 面会交流の具体的な条件、婚姻費用の算定、財産分与のリストアップ。
一つひとつの項目が、家族の絆を冷たい金銭と権利の計算に変換していくようで、気が滅入った。 投げ出したくなる夜は、何度でもあった。それでも、パソコンを開き、キーボードを叩いた。 やるしかなかった。ただただ、目の前のことをやるしかなかった。
戦う
面会交流やお金の話は、百歩譲って法的な基準で決まるならそれでもいい。 だが、親権だけは違う。 「親権者だけは、絶対に譲れない」 私は、パソコンの画面越しに、調停委員に語りかけるように強く念じた。
連れ去った側が親権で圧倒的に有利になるという「継続性の原則」は、嫌というほど調べた。今の自分がどれほど不利な状況にいるかもわかっている。 それでも、私は父親だ。娘の人生に対する責任を、ここで手放すわけにはいかない。
どんなに気が滅入る作業でも、どんなに不利な戦いでも、受けて立つ。 すべては、父親であり続けるために。 決意を胸に、私は再び資料へと目を落とした。 次回の期日は、もう目前に迫っていた。
(第七章に続く)

