人生のシナリオに「裁判」が加わる日
50年という半世紀を生きてきて、まさか自分の人生のシナリオに「裁判」という章が加わるとは夢にも思わなかった。
人生は何が起こるかわからない。本当に、一寸先は闇であり、光でもある。
今、私はある金銭トラブルの渦中にいる。
被告として訴えられたわけではない。失われたものを取り戻すため、私自身が「原告」となって戦うことを決めたのだ。
弁護士がいないという選択
私の隣に弁護士はいない。
いわゆる「本人訴訟」。訴状の作成から証拠の収集、法廷での弁論まで、すべての手続きをたった一人で行うスタイルだ。
周囲に話せば「素人が裁判なんて無謀だ」「餅は餅屋に任せるべきだ」と止められる。
確かに常識的に考えれば、その通りだろう。法律のプロを相手に、素人が太刀打ちできるほど甘い世界ではないことは百も承知だ。
それでも私が、あえてイバラの道を選んだのには、二つの譲れない理由がある。
「コスト」と「プライド」の狭間で
一つは、極めて現実的な「お金」の問題だ。
争っている金額は、私のこれからの人生にとって決して小さくない額だ。だが、弁護士に依頼し、着手金や成功報酬を支払えば、たとえ勝訴したとしても手元に残るものは大きく目減りしてしまう。「勝っても負けても痛手を負う」という状況はどうしても避けたかった。
だが、それ以上に大きな、そして本当の理由がある。
それは「自分の言葉で、自分の正義を伝えたい」という想いだ。
弁護士は優秀な代理人だが、あくまで「他人」だ。
自分の言葉で、正義を伝えたい
この数年間に私が味わった葛藤、悔しさ、そして事の真実は、当事者である私自身が一番よく知っている。代理人が作成する無機質な法律文書だけでは、この熱量は伝わらないと感じた。
法廷で裁判官の目を真っ直ぐ見て、私の声で訴えたい。他人のフィルターを通さず、自分の人生の落とし前は自分でつける。それが、52歳になった私の、不器用なりの覚悟だった。
昼は会社員、夜は法律家
覚悟を決めたとはいえ、現実は過酷だ。
昼間は会社員として働き、クタクタになって帰宅した後、そこから「孤独な戦い」が始まる。
誰もいない部屋で専門書を広げ、慣れない法律用語と格闘する日々。
「請求の趣旨」と「請求の原因」はどう書き分けるのか?
「甲第◯号証」という証拠書類のナンバリングルールは?
訴状を送る封筒のサイズは?
ネットで調べ、AIを活用し、本を読み、何度も書き直す。
「こんなことなら頼んでしまえば楽だったのに」と、深夜に一人、弱音を吐きそうになる夜もある。正直、不安で押しつぶされそうになることもある。
泥臭い「戦いの記録」として
それでも、私は逃げないと決めた。
このブログでは、そんな私の「本人訴訟のリアル」も包み隠さずシェアしていこうと思う。
綺麗事では済まない手続きの煩雑さや、法廷に立つ時の緊張感、そして予期せぬトラブル。その全てが、同じように理不尽と戦おうとしている誰かの役に立つかもしれないからだ。
スマートな戦い方はできないかもしれない。
泥臭く、不格好で、傷だらけになるかもしれない。
今日が人生で一番若い日
それでも、自分の足で立ち、自分の頭で考え、前に進もうとする父親の背中を、誰かが見ていてくれると信じている。
全ては自分が納得するためである。
戦いはまだ始まったばかりだ。
今日が人生で一番若い日。この試練すらも、私の人生を彩る「経験」に変えてみせる。
書ける範囲で、書いていこうと思う。その全てが、同じように理不尽と戦おうとしている誰かの役に立つかもしれない。
「弁護士に頼めない」「一人でやるしかない」 そんな人にとって少しでも役に立つなら幸いだ。

