【実録】第二章:突きつけられた紙切れと、長男と二人の生活

戦う(本人訴訟・調停)

誕生日に届いた、家庭裁判所からの「プレゼント」

突然の別居から数日後。嵐が過ぎ去った後のような、異様に静かな家の中で、私は自分の誕生日を迎えていた。祝ってくれる家族の半分が消えたその日、郵便受けを覗くと、見慣れない茶封筒が届いていた。差出人の欄には「家庭裁判所」の文字。

相手方が私の誕生日をわざわざ狙って送ってきたわけではないだろうが、あまりにも皮肉なタイミングの良さに、思わず乾いた笑いが漏れた。「まさか、こんな思わぬ誕生日プレゼントをもらう日が来るとは・・」

重い足取りでリビングに戻り、封を切る。中から出てきたのは、「申立人」「相手方」と書かれた、これまで自分の人生には無縁だと思っていた冷たい法律用語が並ぶ書類の束だった。「離婚調停申立書」、そして「婚姻費用分担請求調停申立書」。

書類に目を通していくうちに、ため息が出た。別居するその日まで、私たちは表面上はごく普通に暮らし、同じ屋根の下でご飯を食べていた。それなのに、水面下では着々と、そして周到にこれらの準備を進めていたのだ。「よくもまあ、平然とした顔をしてここまで準備できたもんだな」と感心すら覚えると同時に、深い呆れが押し寄せた。

そして何より、女という生き物の底知れぬ怖さを思い知った。周りの人からは、聞いていたが、間違いなく怖い。

そこに書かれている文字の裏には、間違いなく彼女の悲しみや怒りが渦巻いているのがわかった。しかし、離婚理由の欄に無機質にチェックが入れられた「性格の不一致」という活字を見たとき、これまで築き上げてきたはずの家族の歴史が、たった一枚の紙切れで全否定されたような虚無感に襲われた。

残高30万円と、男ふたりの手探りサバイバル生活

感傷に浸ってる暇はなかった。これまでの「当たり前の日常」は完全に崩壊したのだ。

我が家では、別居するまで妻が家計のすべてを握っていた。私の給与が振り込まれる通帳も、キャッシュカードも、すべて彼女が管理していた。家の中を探し回り、かき集めて手元に残った現金は数万円。置き手紙と一緒に置いてあった通帳の残高30万円。

結婚して16年、預けた通帳残高には、30万円。これからどうやって生活を立て直せばいいのか、右も左もわからない手探り状態の中で、この「残金30万円」という数字は、まるで時限爆弾のタイマーのように重くのしかかってきた。

毎月容赦なく引き落とされる住宅ローン、そして電気、ガス、水道などの光熱費。息をしているだけでお金が消えていく恐怖。やっていけるのか?いや、やっていくしかないのだ。

家には、私と同じように突然の事態に戸惑う長男が残されていた。母親がいなくなった家で、言葉少なく、ぎこちない男ふたりの生活がスタートした。

お互いに気を遣い合い、腫れ物に触るような静かな時間が流れる。それでも、腹は減る。料理は好きだったので、問題なかったが、問題は朝の弁当作りだった。私は、朝5時半に仕事へ出かけるので、4時半に起きて弁当を作らなければいけない。

たまに長男と一緒に夕食を食べることがあった。男ふたり、向かい合って食べる食卓。言葉数は少ないけれど、そこには確かな連帯感があった。この子のためにも、自分がここで崩れるわけにはいかない。その想いだけが、私をギリギリのところで支えていた。

見えない助け舟と、突きつけられた「絶望」

「とにかく、素人だけで悩んでいても始まらない。専門家に頼らなきゃダメだ」

焦燥感に駆られた私は、すがるような思いで法テラスや弁護士事務所の無料相談に電話をかけまくった。藁にもすがる思いで足を運んだ相談室で、弁護士は私の話に淡々と耳を傾けた後、冷酷な現実を突きつけてきた。

「そうですね……このケースでお引き受けする場合、着手金で〇十万、最終的な解決時の報酬金で〇十万という形になります」

頭が真っ白になった。手元には、生活費を含めても30万円しかないのだ。「そもそも30万円しかないのに、どうやってその費用を払えばいいんですか?」喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

法律は、弱者を助けてくれる魔法ではなかった。お金を払える人間だけが、専門家の知恵という武器を持てるのだ。「お金がない人間は、どうやって自分を守ればいいんだ?」誰の助けも得られないという孤独感と絶望感が、泥水のように心に流れ込んできた。

「自分で戦う」という決断と、会いたい想い

何日も悩み抜いた末、私はひとつの結論に行き着いた。 金もない。誰も助けてくれない。
だったら、自分でやるしかない。

弁護士を雇えないなら、自分で法律を学び、自分でやるしかない。もちろん不安は尽きない。けれど、離婚調停の段階なら、弁護士がいなくても自分の言葉で想いを伝えることはできるはずだ。「なんとか頑張ってみよう」、私は固く覚悟を決めた。

なぜ、そこまで戦う気になれたのか。

お金の問題ももちろんあったが、それ以上に、私を突き動かしていたのは「別居して離れ離れになってしまった子どもに会いたい」という、強烈で純粋な想いだった。この気持ちは、この立場にならないとわからないと思う。周りの人がいろいろアドバイスしてくれるが、会いたいものは会いたい。

まだ、小学生の娘が、今どんな思いで過ごしているのか。私のことをどう思っているのか。この状況をどう受け止めているのか。それを考えるだけで胸が張り裂けそうだった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。と、同時に相手方への憎しみが膨れ上がり、なかなか冷静になれない自分がいた。

なんとか、なんとしてでも、すぐにでも会いたい。

そして、別居から約1ヶ月後。不安と決意が入り交じる中、私は一人で家庭裁判所の門をくぐった。第一回離婚調停の期日。ここから、私の長くて孤独な闘いが幕を開けることとなる。

(第三章へ続く)

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